どうなの、wifi

こんだけ楽しんでて「どうなの」もないと思うんだが、とりあえずDSのwifiコネクションの疑問点その他を適当に羅列。
まず思うのは任天堂以外のソフトでの利用が話題にならないことだ。話題にならないんだから、利用者もそんなにいないって考えは浅はかだろうか? とりあえずそうしておくが、理由のひとつとしてはまずこれは本当にどうしようもないことだが、話題になるほど売れていないということ。そして対応したとしても、対応させるゲームの本質とは関連性の薄いとこでの利用がメインで、別に利用しなくてもソロプレイで充分にそのゲームを満喫できるからじゃないでしょうか。サードパーティから発売された、現時点での対応ソフトで上記に当て嵌まらないのは『Bleach』くらいだと記憶している。(コンタクトってどうなのかしら?)
では今後はどうだろう。
サードパーティ製ソフトで盛り上がりが見込めるのは来月20日に予定されている『ボンバーマンランド』がその筆頭。しかし、その内容はやはりマッチングサービスで(というか、ボンバーマンで対戦以外の部分でサービス提供されてもそれはそれで困る)、これまでに任天堂製対応ソフトとほぼ同じと見た。単なる推測に過ぎないが、サーバもシステムもまま任天堂と同じなんじゃ、ヘタしたら管理すら任天堂にお任せってこともありえるんじゃないか。
DSのwifiシステムで大きな問題点となってるのがビジネスモデルが確立しにくいということではないかとずっと考えてた。これはサービスの発表時に“カンタン・あんしん・無料”というスローガンを掲げたことに端を発する。カンタンというのは別段何も問題はなく、どのネットサービスでも重要視される要項ではあるが、問題になるのは後ろの二つ。あんしんというのは対戦型サービスでのプレイヤー間のコミュニケーションを極力廃し、年少のユーザーをネットの匿名性による被害(ゲーム中に汚い言葉で罵られたりすること)から守り、また、コード登録によって接続者を限定したりもできるようにしている。この制限に拠って、自然、wifiコネクションの対応目的が狭まってしまい、対戦のマッチングサービスばかり多いという状況に。ファンサイト等の掲示板で公開されているコードを登録すればという向きもあるが、それは既にDSとは別手段でネットの匿名性・危険性に触れているということになる。
そしてやはり一番大きいのが無料という点だ。無料というのは取り立てて画期的なことではない。今日のネットワークゲームの礎を作った『Diablo』をはじめとするBlizard社のPCゲームのマッチングサービス『Battle.net』は今も昔も無料のまんまだし。
しかし、『UO』でネットワークゲームの課金は持続した集金が行える、儲かるとわかってから現在までのネットゲームの氾濫っぷりは周知の通りである。人の集まらないゲームは維持費すらままならず、予定通りのサービスが実施されずに、それ故に人が集まらないという悪循環を繰り返し、結局は撤退となってしまう。そして月額固定というのに問題があると感じ始めたベンダーは今度はアイテム課金という新たな方式を模索。それもどうなのよとオレなんかは思ってしまったわけですが。
主たる顧客に子供が多いDSにおいては、支払方法(クレジットカード・プリペイドカード)・物理的な金額といった点で、その顧客達に対しての負担が大きいと考えた任天堂が無料という大義名分を掲げたのはある意味で必然だったわけですが、ハードメーカー自らが断続的な集金をしませんと宣言してしまったので、サードパーティが躊躇してるのもまた当然の帰結なのです。
任天堂wifiコネクション発表の際に、「他のメーカーにまで無料というのを押し付ける気はない」と気遣いを見せましたが、それでもハードメーカーが無料でやってるサービスに値札を付けられるメーカーがどれだけいるでしょうか。いたとしてもノウハウの少ないメーカーが独自にサービスを立ち上げるのは不可能に近く、任天堂印のwifiコネクションに参列するなら、それはもう無料という値札をつけるしかないわけで。
ミリオンソフトであれば、ソフトそのものの収入である程度のカバーもできるでしょうが、売れるのは任天堂のソフトばかりで、他の中小メーカーはそこまで足を踏み出せません。
ドリームキャストは主導権のあったセガが『PSO』でちゃんとお金をとってサービスを提供するモデルを実践してくれたので、わずかではありましたが、追随するメーカーもいました。
しかし、任天堂が無料とぶちまけてしまい、今のところ撤回する様子もさらさらないのだから、wifiコネクションに対応させようと考えるメーカーもあまり冒険はせずに、対戦のマッチングサービスか、アイテム交換程度の軽いもので足踏みしてるのが現状です。
無料というのは確かに気軽に遊べるという点ではありがたいことこの上ないサービスなのですが、無料ということによって、マッチング精度の低さ・遅さといった不満に目を瞑らざるを得ない、過剰なサービスに期待できないので大掛かりなネットワークゲームの登場にも期待できないということでもあります。今のユーザーの大多数がそれを望んでいないのかもしれませんが、その面白さを知らないだけかもしれません。それはそれでメーカーサイドとしても、ユーザーサイドとしても勿体無い気がするんだけど、市場を牽引いているメーカーが「ウチはやらない」と言っている限り、どうにもならないのだと思います。
長文失礼。

ここ最近のテトリスDS戦況

上にも書いたけど、ネットの合間にwifi対戦から、病気が悪化して、wifi対戦の合間にネットやってる始末。Newマリオもちょくちょく遊んではいるものの、総時間プレイ数は比較にならんと思うです。
とは言っても、まだまだ4人対戦で350戦程度の試合数。一等賞回数はいまだ100未満(現時点で90強)。レートは平均6000台前半をうろちょろしてる状態です。このレート、5,000〜6,000台はそんなに差がなかったりするんだけど、アベレージで6,000台中盤以上をキープし続けてる人とは明確な腕の差が認められ、対戦グループにそういった人が入った場合、死線を覚悟しまくり。
逆にたまーに5,000台のグループに放り込まれると、ランダム爆牌*1を食らわない限り、こちらで場のコントロールが出来てるのがありありとわかる展開になったり。つくづく恐ろしいゲームだぜー。
ニックネームは『コタロック』でやってるんで、もし出会ったら震えて眠れ。(オレが)
あ、5,000台に落ちた……。

*1:ブロックを消すことにより、アタック先ランダムで送られるおじゃまブロックがそのランダム性故に偶然に自分に集中して、瞬殺されること。『ノーマーク爆牌党』のそれとは意味合いが全く違います

タムテックシリーズ マイティフロッグ

紹介記事を書いてる人、マイティフロッグが20年前に出てたってこと知らないのかしら? 当時からピンクは彼のシンボルカラーでした。ラジコンの操縦機はコントローラーと呼んではいけません。断固としてプロポと呼ぶべし呼ぶべし呼ぶべし。罰としてラジコンキッドの全巻制覇を命じたい。えー、ボーイじゃなくてキッドかよ!
オリジナルと比較すると結構変わってんのね。ダンパーは前後輪に二つずつ付いてるし、特徴的なランプのピースマークは無くなってるし。
しかし、20年以上の時を経てマイティフロッグで遊べるなんて素晴らしい。この調子で我が青春のホーネットを頼むぜ、タミヤ。ホットショットは苦い思い出しかないので出さなくていいです。

メトロイドプライムハンターズ

家庭用FPSというと、DC『アウトトリガー』を熱心に遊んだ人間なので、これもきっと楽しめると確信を持って臨んだのですが、ダメでした。画面が小さく、手で保持することによる手ぶれの発生で3分で頭痛、5分で気持ち悪くなってきた。まだ最初のエリアから抜けてないってのにな。

Newスーパーマリオブラザーズ

条件をクリアしないと遊べないワールド5・7を飛ばし、最低ワールドクリアながらもなんとかエンディングを迎えました。クリア後に隠しワールドがありますよではなく、8ワールド中6ワールドのクリアでOK、遊び足らなかったら分岐で行かなかったワールドをどうぞという方式は時間に追われる社会人にはとてもありがたし。歳を重ねると娯楽に対するモチベーションの持続がちょっと大変なので。『脳トレ』みたいに1日10分でいいんですってゲームではないのだし。
しかしものの見事に『スーパーマリオ』だった。次世代機という言葉が造られて、今回で早3回目の代替わりをしようかというところに、このゲーム。グラフィックこそ“今時”ではあるものの、初代以降の要素を取り入れてはいるものの、基軸は初代。それでもこれだけ遊ばせてもらえたのは、取れそうで取れないスターコイン、いて欲しくないとこに必ずいる敵の配置といった絶妙のコース構成と、先日にも書いたが、やられた時の理由が判りやすく、かつ納得でき、どこを直せばいいのかを考えさせるトライアンドエラーを、どう楽しませるかに腐心したおかげ。
今更ではなく、今だからこそのこのゲームを真面目に作り上げた任天堂の執念と言い換えてもいい。
それにしても十字キーでキャラクターを動かし、Aでジャンプ。Bでダッシュのシンプルな操作のなんとわかりやすく、気持ちのよいことか。十字キーがアナログデバイスになろうが、この永久不変・天壌無窮の定型美をWiiで捨てるというのはやっぱり愕然とするよ。それもこの様式を確立した任天堂がってんだから。
まぁ、そこら辺の話はまた今度にするとして、久しぶりにジャンプアクションゲームを楽しく遊ばせてもらいました。初代『スーパーマリオ』はプレイヤーのみならず、その後にジャンプアクションゲームを作る開発者にとっても“教科書”のような存在でしたが、初代が“教科書”なら『New』は“参考書”みたいな出来栄えです。それ単体だとちょっと厳しいかもしれないけど、教科書を読んだ後ならさらに理解を深められるといった意味で。
そういった意味でいうとやはり『New』は昔に『初代』を遊んだ人こそがベストターゲットなのでしょう。昔を知らない人にも手にとってもらえるよう、
誰でもできる、新しいマリオ
というコピーが打たれていますが、実際は
(初代を遊んだ)誰もが偲ぶ、懐かしいマリオ
だったワケです。
不満点はせっかくパッケージも黄色にしたんだからROMカードも黄色にしとけと。ここはもう、それこそ昔を知る側にとっては断固として許せない瑕瑾であります。笑。